旅する学校

僕の友達のナオキがある日こんなことを思いました。

「学校が動いてもいんじゃね」 と

ほんとの先生は学校の外にいる!

みんなが一緒に席に座らなくてもいい!

学校に先生に会いに行くんじゃなくて、

学校が先生に会いに行ってもいいんじゃないかって

その名も「ノマディックスクール」

旅ってなんだろう?みんなはどんな旅をしてきたんだろう?

ってことで、フーゴさん「旅+X」をテーマに旅の経験を書いてください!

前にそんな話がありました。

今日のブログはその時のコピペ

どうもフーゴです。
最近22歳になりました。 (おめでとう)

僕は小さい頃からずっと色んなことに興味関心があり、高校生の頃には自分の意見を持ち、物事と向き合うことが大切だと考えていました。
しかし、環境問題、政治、教育、食、平等、色んなことに対して自分の考えを持っていても自分ができることは明確にならず、なんだか悶々としていました。

そんな中、大学へ実家から通うことが決まり、「とりあえず、何も出来ないで意見だけ持ってる奴より、種と土さえあれば自分の食うもんぐらい自分でなんとか出来る奴の方がかっこいーし、考えの土台にもなるだろう」とかテキトーな考えのもと祖父から畑を少し借り、大学に通いながら畑を始めました。

「 旅 + 畑 」

僕が育ったのは、首里城のふもと金城町で、家の庭には琉球桜とブーゲンビリア、ガジュマル、バナナとかが生えていて、一時期マングースが住んでいた。隣の家のアセロラや、ひとん家のシークワーサー、石畳道の桑の実とかをよく摘まんで食べていた。家の庭にも幼稚園にも自分の畑があり、好きなものを植え育てていた。

沖縄から千葉の浦安に移ったけどあまり自分には合わなくて、翌年は長野で山村留学をした。そこでは自分達のことは全部、自分達で話し合って決め、自分達でやって生活をしていた。朝ご飯は毎朝3人で40人分ぐらい作っていたし、照明とコンロ以外は薪で生活していた。やらなきゃいけないことは多くて大変だったが、代わりにやりたいことは全部自分達で決めやることができた。僕がいた年の米づくりは完全無農薬で作ることに決まり草取りがしんどかった覚えがある。

中学にあがる時に家族と一緒に京都に引っ越し、バスケをしながら3年間過ごした。校舎裏にはいちおう畑があってそれなりには収穫があった。卒業と同時に愛知にある母方の実家に移り、高校3年間を過ごした。それなりに土地があり収穫の時期はときどき畑仕事を手伝っていた。

高校生の僕は「大学生になれば時間は余るほどある」と考えていたから、入学を機に畑を始め、月に一度自然農を学びに三重に通っていた。人間の想いと自然の在り方との折り合いをどのようにつけてゆくのか、彼等の物事の捉え方や考え方に触れられたことはとてもいい体験であったと思う。

大学では環境について学び始めた。農業実習では化成肥料や農薬も使った野菜作りを教わった。つまんないからよくサボってたけど、実習前の野菜の歴史の話はほんのちょっと面白かった。

風呂上がりにソーヤ海くんとエロ本(種の解説書)をみてニヤニヤ

 夏に友人のソーヤ海くんについてアメリカのパーマカルチャーのフィールドを見に行った。旅のメインはシアトルの北、カナダとの国境付近にある島オーカス島のブロックス。僕が行ったのは9月の頭。フルーツが降ってくる楽園があるって聞いてたけど、その言葉通りの場所だった。どこを見ても誰かの考えや想いが感じられ、挑戦や失敗の跡がたくさんあった。

アメリカでは都市でも色んなところで野菜を育ててたり、パーマカルチャーの考えを取り入れて街づくりをしてたりしていた。どこに行っても遊び心があり、美しさがあった。都市で実際にパーマカルチャーが行われているのを見ることができて、とても勇気をもらった。

春、千葉にあるブラウンズフィールドでインターンをし、マクロビオティックの考え方に出会った。畑には野菜はあまりなく、種取り用の大根だけが伸びていた。

GWとお盆の2週間を使ってパーマカルチャーのデザインコースを受講し本格的にパーマカルチャーを学んだ。学びの場となったPAWAは小さい土地の中に数えきれないほどのデザインがされていて観察を始めると止まらなかった。PAWAは、いつ行っても優しさと心地よさに満ちている。

デザインコースでお邪魔した山の中にあるストーンブリッジは、初めて行った時その迫力に圧倒されてしまうほど広く、面白いものに溢れていた。お金にあんまり興味はなかったけど、あったらこんなことまで出来るのかとワクワクした場所でもある。

コースの前半が終わった後、イギリスにサティシュというインド人のおじいちゃんに会いに行った。彼の発する言葉には、強さと優しさがあり、彼自身からもそれをたくさん受け取った。彼の大学はおとぎ話の中のようで木も花も建物も美しかった。

大学の隣にはパーマカルチャーデザイナーであるマーティンの庭があり、池の大切さ、コウモリの話、植物の特徴となぜそこに植えたか、気候や風土、森のデザインについて などなど などなど、、、とってもマニアックで面白い話をたくさんたくさん聞かしてくれた。教えてくれたことが多すぎて半分も憶えていないけど、とにかくこの場所も美しかった。

愛知に帰ってきてから、大地の再生という活動をしている人たちに森の中で空気や水がどうやって循環しているのか、それをどうやったら手助け出来るのかを教えてもらった。そして、山が緑でも必ずしも自然豊かとは言えないと話してくれ、山や森をどのように見たら元気かどうかがわかるのかを教えてくれた。

家の近くに貸し農園をしながら子供達に環境教育をしている人がいると聞いて、会いに行ってみた。彼は生き物が大好きで生態系のために畑をやっていた。虫や鳥のために野菜を育て、カエルやトンボ、水が好きな生き物のために池を作り、ヘビのために石や落ち葉を積んでいた。自然と真摯に向き合い、動物の鳴き声で種を蒔く日を決める彼の話は新鮮だった。

母の紹介で、ありがとう農法という変わった考えで野菜作りをしている夫婦と会い、野菜のことと物事の見方や考え方を教わった。彼等のまわりは笑い声に包まれていて、話にはユーモアと説得力があった。

デザイナーになってから2年経ち、今度はスタッフとしてデザインコースに参加した。パーマカルチャーの視点でコースを観察し自分で考えることで2年前よりも沢山の気づきがあった。受講者の時には気づけなかった沢山の思いやりがみえ、3人に対する尊敬の念がより一層深くなった。今回が初となる平和道場でのコース後半もみんなでワイワイ助け合い、大変さも楽しんで過ごすことができた。

夏、山形で農業をやっているおじさんを訪ねた。彼はまっさらな自然のものだけを使って野菜を作るために鳩を育て、その糞を肥料として使っていた。植物や土、生き物の特徴や関係性を熟知していて、その野菜、その野菜にあったマクロな環境を膨大な知識と経験で見極めながら、畑全体での生態系のバランスを考えた畑作りをしていた。
おっちゃんはパーマカルチャーなんて言葉は知らなかったけれど、今まで日本で見てきたどの畑よりもパーマカルチャーな畑で、ひとつひとつのピースがピタッとはまっているような畑だった。ブロックスの畑は個性的で芸術的な絵画のような美しいさを持っていたけど、ここの畑は自然にとことん寄り添っていくように作られた、スイスの高級時計のような緻密に考えられた美しさがあった。
ここで育っている野菜は、彼が伝承野菜と呼んでいる日本の各地で脈々と受け継がれてきた土着の野菜で、農業の衰退によって絶滅寸前の古来種の野菜達だ。そして、トマトだけで40種近くの種が集まってきている。そんなこの畑を、僕は勝手に「野菜ジュラシックパーク」と呼んでいる。

話はパーマカルチャーに戻って、今年からPAWAで始まった若者向けのパーマカルチャープロジェクトにもスタッフとして参加した。今まで「農」を中心としたコミュニティーで、こんなにたくさんの同年代の人と出会う機会がなかったから始まる前からウキウキだった。彼等の視点、考え、経験、どれも面白く、今まで思いつきもしなかったようなアイディアが積もるほどでてきた。毎月楽しみで、片道10時間でも何も苦にならなかった。たった4回会っただけで家族のように感じることができる関係ができたことに感謝している。

さぁ これから何を始めようか!?

追記:こんなだらだらとした箇条書きの文章を最後まで読んでくれてありがとう。
長くなったのでシャロム、センタージャパン、サイハテとか日本のパーマカルチャーフィールドは割愛します。直輝にでも聞いて!

写真は明日たくさんあがります!!

またねー

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