何処へ行ってもよそ者だった

前に、父の前で「沖縄と内地は違うから…」

みたいなことを言ったことがある。

そしたら「それを言っていいのは沖縄の人だけだ」

と 返ってきた。

僕は「沖縄の人」ではなかった。

首里城の木々たち。

これまで各地を転々としてきて

楽しいことの方が多かったし、

自分の性分にも合っていた気がする。

(そういう性格になっただけ?)

ずっと同じ場所に住み、

生きてきていたらどんな風な人になっていただろう?

なんて考えても思いつきもしない。

旅をするように生きてきた中で

素敵な出会いはたくさんあって、

そのひとつひとつが今でも僕の宝物だけど、

今日はちょっと暗い部分。

「普通ではない子」だった僕の

考えや葛藤、戦いの話。

今、うまくいかずに悩んでいる人や

昔そうだった人に少しでも届いたら嬉しいです。

「変」

自他共に「佐竹風吾」を表すときによく用いる言葉。

「変人」

ポジティブな意味でもネガティブな意味でもどっちつかずでも、いつも僕の耳に飛び込んでくる呼び名。

変人 = 普通じゃない奴 

なのだとしたら僕はまさしく変人だったと思う。

普通が何かはさておき、その地域、その学校、その教室で、今まで住んだことがある場所を説明するのに

日本地図を広げないといけない様な人間は数えるほどしかいないのだから。

東京 — 沖縄 — 千葉 — 長野 — 京都 — 愛知 — 山形

転校生はよくいじられる。

いじられるのは慣れているし、むしろ自分のことを嫌いな奴がいてくれた方が自分らしいと思っていた。

いじめられもしないような地味な奴には死んでもなりたくないと思っていたし、実際いじめられることもいくらかあった。

(自分でもいじめだと思わないような小さいものから、窓からアスファルトを眺めることが日課になるようなものまで)

気に入らないなら言うべきだし態度で示すべきだ

と思っていたから、

教員という人たちとは馬が合わないことが多かった。

(私の学校生活は恵まれていて、

いい先生ともたくさん出会うことができました)

先生からも友達?からも否定的なことを言われることもあったが、

否定されるのは自分らしく生きている証でありむしろ誇らしいことだと思い込むことにしていた。

否定 ≒ 自分らしさ

であると思っていた時期だってある。

「普通」 って なんだろう?

幼稚園の頃から「よそ者」をしてきて、

波風を立てることに慣れきっていた僕は、

高校に入学して最初の1ヶ月で20回ぐらい怒られた。

記念すべき1回目は「手提げ鞄を肩に掛けるな!」という体育教員の激怒だった。

初めて見るようなすごい剣幕だったが、なぜ怒られているのかわからない高1の僕は素直に訳を尋ねてみた。

少し不機嫌になりながら制服に痕がつくからだと言われたが、あの剣幕の理由まではわからなかった。

その後、何人かの教員に短期間に理解できたりできなかったりするお叱りを受け、

腑に落ちないものには訳を尋ねてみた結果、見事に「怒鳴っていい奴」のレッテルをいただき高校生活が始まった。

高校3年生の春、

職員室に「文転がしたいです」と言いに行った。

理由は、この春休み中に志望校を決め、

第一志望に決めた早稲田大学に英語、国語、

日本史の3科目で受験しようと考えているため、

理系科目を受験で使わなくなったから。

単位数の問題で3年生からの文転はできないといわれ、

「赤点は絶対にとらないので授業中、受験勉強をさせてください」

と理系科目の先生方にひとりずつ頭を下げにいった。

みんな快く許可を出してくれたが、

「佐竹が早稲田を受けるつもりらしい」という噂が広まった。

ある日の学校帰りに友達数人で帰っていると1人が、

「おまえ、よく平気な顔して毎日学校に来れるよな」

と言った。

その頃、僕は教師ぐるみのいじめに遭っていた。

若い教員ひとりと学校の同学年の生徒ほとんどから、笑いものにされていた。

この学校の普通科から早稲田を受けた奴はいないし、

お前よりも成績のいい あいつもあいつもどこどこを受ける。

なのになんでお前なんかが早稲田を受けるんだ。と

授業中、よく板書の回答者に指名され、

「早稲田受ける奴がこの程度もわからなくて大丈夫か」とか、言われ続けていた。

「わかりません」があんなに受けるのは、

後にも先にもあの時期だけだったと思う。

これで受かっていれば物語として締まりがいいのだが、残念ながら大学生活も愛知で過ごしました。

話は戻って、

学校帰りの数人の友達とは今でも続いている。

数人というか正確には4人なのだが、

僕がいじめられていた頃彼らも教員に目をつけられて同じような仕打ちに遭っていた。

理由は明白で、佐竹と仲がいいから だった。

「佐竹に比べればどうてっことはない」と

変人たちはよく言っていた。

あの時はどや顔で

「いじめをするような奴は心の弱い奴で、自分に自信がない奴らだから、そんなの何人増えても痛くもかゆくもない」

とかなんとか言った気がするけど、

あの時 隣で一緒に毎日バカ話をして

一緒に笑っていてくれたことは今でも感謝している。

そんな思い出も もう6年も前の話で、

今では人とぶつかることも少なくなってきた。

(根っこは変わってないと思うけど)

未だに自己紹介の時には、

「東京生まれ沖縄育ちのフーゴです」と言っている。

自分がどこの人なのかはわからないままだが、

帰れる場所はたくさんある。

そもそも「よそ者」の自分も嫌いじゃない。

ここ最近、ぜんぜん旅なんてしていないけど、

これからも旅人として生きよう。

そして、地球人として!

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